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高松高等裁判所 昭和29年(ネ)25号 判決

控訴人 公家栄 外二名

被控訴人 竹村豊之助 外四名

主文

(イ)  原審昭和二六年(ワ)第三八六号事件の分

原判決中主文第一、二項を次の通り変更する。

控訴人公家栄は被控訴人竹村豊之助に対し、別紙〈省略〉第一目録記載の宅地の内南部四十六坪(別紙第三目録記載の宅地三筆に対する換地予定地の一部、高知市播磨屋町ブロツク第七二号の一)をその地上に存する別紙第四目録記載の建物を収去して明渡し、且つ金二万九千四百九円及び昭和三十一年一月一日より右土地明渡済迄一ケ月金千三百八十二円の割合による金員を支払え。

被控訴人竹村豊之助の控訴人公家栄に対するその余の請求並に被控訴人白田誠男の控訴人公家栄に対する建物収去請求部分をいずれも棄却する。

原判決主文第三項に対する控訴人公家栄の控訴部分並に同第四項に対する控訴人上村菊美及び同田村武松の各控訴を棄却する。

控訴人上村菊美及び同田村武松の各控訴費用は同控訴人等の負担とし、控訴人公家栄と被控訴人竹村豊之助、同白田誠男との間に生じた訴訟費用は、第一、二審を通じ控訴人公家栄の負担とする。

(ロ)  原審昭和二六年(ワ)第五〇〇号事件の分

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人公家栄の負担とする。

事実

控訴人等代理人は、「(一)原判決中控訴人等敗訴部分を取消す。(二)被控訴人竹村豊之助の控訴人等三名に対する請求を棄却する。(三)被控訴人白田誠男の控訴人公家栄に対する請求を棄却する。(四)控訴人公家栄は別紙第一目録記載の宅地百七十坪九合の内その南部四十六坪の土地について賃借権を有することを確認する。(五)控訴人公家栄は別紙第五及び第六目録記載の各(ロ)の土地について賃借権と同じ内容の使用権を有することを確認する。(六)控訴人公家栄に対し、被控訴人正木清隆は別紙第六目録記載の(ロ)の土地を、被控訴人白田誠男は別紙第五目録記載の(ロ)の土地を同地上の建物を収去して夫々明渡せ。(七)被控訴人白田泉、同白田ふみのは右建物から退去せよ。(八)若し右(五)の確認請求が容れられないときは、控訴人公家栄は別紙第一目録記載の換地予定地につき四十六坪の百七十坪九合に対する割合で賃借権と同じ内容の使用権を共有することを確認する。(九)訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。」との判決並に右(六)及び(七)につき仮執行宣言を求め、被控訴人竹村豊之助の請求拡張部分につき請求棄却の判決を求めた。

被控訴人等代理人は、各控訴棄却の判決を求め、当審において被控訴人竹村豊之助の控訴人公家栄に対する損害金請求を拡張し、「控訴人公家栄は、被控訴人竹村豊之助に対し金三万八千八十三円及び昭和三十一年七月一日以降本件土地明渡済に至る迄一ケ月金千三百八十二円の割合による金員を支払え」との判決を求めた。当事者双方の事実上の主張は、被控訴人等代理人において、被控訴人竹村豊之助が控訴人公家栄に対し明渡を求める別紙第一目録記載の宅地の内南部四十六坪の公定借地料相当の損害金は、換地予定地指定通知のあつた日の翌日である昭和二十三年十月二十六日より昭和二十六年九月三十日迄が五千三百八十五円十五銭八厘、同年十月一日より昭和二十七年十一月末日迄が一ケ月二百五十三円九十二銭、同年十二月一日より同月末日迄が一ケ月三百四十円、昭和二十八年一月一日より同年十二月末日迄が一ケ月四百八円、昭和二十九年一月一日より同年十二月末日迄が一ケ月五百四十八円、昭和三十年一月一日より同年十二月末日迄が一ケ月千二百二円、昭和三十一年一月一日以降が一ケ月千三百八十二円である(尤も固定資産評価額を基準とすれば、昭和二十六年十月一日より同年十二月末日迄は一ケ月二百十七円、昭和二十七年一月一日より同年十一月末日迄は一ケ月二百四十九円となるが、昭和二十六年十月一日より昭和二十七年十一月末日迄の分は、賃貸価格を基準として算出したものが固定資産評価額を基準として算出したものより多額のときはこれによることができるから、賃貸価格を基準として算出した額による)。従つて昭和二十三年十月二十六日より昭和三十一年六月末日迄の損害額の合計は金三万八千八十三円(円未満切捨)となるから、被控訴人竹村豊之助は控訴人公家栄に対し右金三万八千八十三円及び昭和三十一年七月一日以降前記土地明渡済に至る迄一ケ月金千三百八十二円の割合による損害金の支払を求めるものである。と陳述した外原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。〈立証省略〉

理由

(一)  控訴人公家栄の被控訴人白田誠男、同白田泉、同白田ふみの、同正木清隆に対する請求(原審昭和二六年(ワ)第五〇〇号事件)について。

被控訴人正木清隆が別紙第一目録記載の宅地百七十坪九合を所有していたこと、控訴人公家栄が昭和二十一年十月頃右宅地の南部に建坪十一坪の家屋を建てたこと、右家屋の敷地部分(現在四十六坪)が被控訴人竹村豊之助所有に係る別紙第三目録記載の宅地三筆に対する換地予定地の一部として指定され(高知市播磨屋町ブロツク第七二号の一)、昭和二十三年十月二十五日各土地所有者及び控訴人公家栄に対しその旨の通知がなされたこと、被控訴人正木所有に係る別紙第一目録記載の宅地に対する換地予定地が高知市播磨屋町ブロツク第七二号の二、宅地百十七坪として、右家屋敷地部分の北方に指定され、右同日土地所有者にその旨の通知がなされたこと、被控訴人白田誠男は昭和二十二年十月頃被控訴人正木より同被訴人所有に係る別紙第一目録記載の宅地の中北部約二十五坪を賃借し、右地上に建物を建てて、父母である被控訴人白田泉及び同白田ふみのと共に居住していること(但し被控訴人白田誠男は昭和二十一年十月十二日生であつて、右賃貸借契約は同被控訴人の親権者である被控訴人白田泉及び同白田ふみのが法定代理人として締結した)、被控訴人正木が昭和二十六年六月十五日別紙第一目録記載の宅地につきこれを別紙第二目録記載の如くA、B、Cの三筆に分筆登記をなし、その各換地予定地が同目録記載の通りであること並に被控訴人白田誠男が被控訴人正木より別紙第二目録記載Bの宅地を買受け、昭和二十六年六月十五日その所有権移転登記をなし、また被控訴人白田泉が被控訴人正木との間に別紙第二目録記載Cの宅地につき売買の予約をなし、同年六月十六日売買予約に因る仮登記をしたことはいずれも当事者間に争がない。

控訴人公家栄は、同控訴人は昭和二十一年十月被控訴人正木清隆より同被控訴人所有に係る別紙第一目録記載の宅地百七十坪九合の中南部約十五坪を建物所有の目的で賃借し、右地上に建坪約十一坪半の家屋を建てたが、その後土地の借増をして借地の坪数は四十六坪となり、また右家屋の建増をして現在右地上に別紙第四目録記載の家屋を所有していると主張し、被控訴人等は、被控訴人正木は昭和二十一年十月控訴人公家栄に対し被控訴人正木所有に係る前記宅地の中十一坪の使用を承諾したに過ぎない、即ち使用貸借であると主張するにつき審按する。成立に争のない甲第十三号証、郵便官署作成部分の成立に争がなくその余の部分は原審における被控訴人正木清隆本人の供述により真正に成立したものと認められる甲第六号証、当審における控訴人公家栄本人の供述により真正に成立したものと認められる乙第四号証、当審証人松井正保、同永森熊太、同樫谷隆茂、同島崎富次郎、原審並に当審証人公家一猪の各証言、原審及び当審における控訴人公家栄本人尋問の結果(但し後記措信しない部分を除く)並に当審における検証の結果を彼此綜合すれば、控訴人公家栄は被控訴人正木清隆と古くからの友人であること、控訴人公家は昭和二十年十月頃朝鮮より引揚げて来たものであるが、適当な職業がなかつたため高知市において何か商売でも始めたいと考え右正木に相談したこと、被控訴人正木は引揚者である控訴人公家の窮状に同情し、好意的に自己の所有地の一部を一時同控訴人に貸与し、同控訴人が右土地を利用して商売を始める途を拓いてやつたこと、ここにおいて昭和二十一年十月控訴人公家と被控訴人正木との間に、控訴人公家が被控訴人正木所有に係る別紙第一目録記載の宅地の中南部の十一坪を使用期間を五ケ年、賃料一ケ月百円、五ケ年経過後建築物一切を控訴人公家において取除く約で賃借する旨の契約が成立したこと、かくて控訴人公家は右借地(十一坪)上に簡単なバラツク式家屋を建てて飲食店営業を始めたものであるが、同控訴人はその後被控訴人正木に無断で順次増築或は改造をなし、現在別紙第四目録記載の家屋(建坪二十七坪)を所有して、別紙第一目録記載の宅地中南部四十六坪を占有使用するに至つていること、而して賃料については当初月百円であつたが、その後月二百円、二百五十円、三百五十円と順次増額し、昭和二十五年八月分迄支払済の計算となること(尤も右賃料の支払は被控訴人正木が控訴人公家経営の飲食店で飲食した代金と差引勘定する場合が多かつたこと)を肯認することができ、原審における被控訴人正木清隆本人の供述中右認定と牴触する部分は前掲各証拠と対比して信を措き難く、その他右認定を左右するに足る証拠がない。そこで右認定の諸事実に基いて考察するに、控訴人公家が昭和二十一年十月被控訴人正木よりその所有地の一部を賃借したことは否定できないけれども、右土地賃貸借は被控訴人正木が友人である控訴人公家に対し好意的に所有地の一部を期間五ケ年と限つて賃貸したものであつて、契約成立の事情に照し借地法第九条にいわゆる一時使用のため借地権を設定したことが明らかな場合に該当するものと見るのが相当である。(尚控訴人公家栄本人は原審において、借用約定書に使用期間を五ケ年としたのは、被控訴人正木が一応そう書いておけ、その後も続いてやればよいとのことであつたから五年と記載したものである旨供述しているけれども、右供述は原審における被控訴人正木清隆本人の供述と対比して信用し難い)。

従つて右土地賃貸借については借地法第二条乃至第八条の規定の適用がなく、約定賃貸期間の経過(昭和二十六年十月末)により終了するものと謂うべきであるが、契約の更新がなされたか否かの点につき更に審按する。原審証人中島隆吉の証言(但し第一回)により真正に成立したものと認められる甲第十号証、原審並に当審証人中島隆吉(原審は第一、二回)、同坂本勝喜の各証言、原審における被控訴人白田誠男法定代理人白田泉、被控訴人正木清隆本人の各供述を綜合すれば、昭和二十六年六月上旬頃被控訴人正木、同白田誠男及び控訴人公家栄の三者間において、(1) 控訴人公家は被控訴人正木所有地の換地予定地に対し使用権を抛棄すること、(2) 被控訴人正木は控訴人公家のため別の場所に土地を用意し、これを同控訴人に使用させること、(3) 控訴人公家はその所有家屋を自費で右正木の用意する別の宅地に移転すること、(4) 被控訴人白田誠男は従前被控訴人正木より賃借していた部分を買取ることの合意が成立したこと、かくて被控訴人正木は右約定に基き控訴人公家栄のため高知市西紺屋町十二番の一宅地五十一坪四十七を他より買受け、このことを控訴人公家に通知したこと、然るに同控訴人は右約定に背いて正木の用意した右土地に本件家屋を移転しなかつたものであることを認めることができ(原審並に当審証人公家一猪の証言、原審及び当審における控訴人公家栄本人の供述中右認定に反する部分は措信し難い)、右認定の事実より推して前記土地賃貸借が期間満了後更新されたものとは到底見られない。従つて被控訴人正木、控訴人公家間の前記土地賃貸借は昭和二十一年十月より五年を経過した時即ち遅くとも昭和二十六年十月末日を以て終了したものと謂わなければならない。尤も控訴人公家が被控訴人正木より賃借していた前記土地は被控訴人竹村豊之助所有土地に対する換地予定地の一部として指定され、また右賃借地を含む被控訴人正木の所有地に対し換地予定地が指定され、右前者の換地予定指定地については昭和二十三年十月二十五日控訴人公家に対しその旨の通知がなされたことは前記の通りであり、特別都市計画法第十四条第四項によれば、控訴人公家は右換地予定地指定通知がなされた日の翌日から一応前記賃借地を使用することができなくなる筋合であるけれども(尚この点については後記(二)における判断において更に説示する)、同控訴人は賃借地上の家屋を被控訴人正木所有地に対する換地予定地内に移動することなく、その後も引続き従前の土地である賃借地上に別紙第四目録記載の家屋を所有して、前記賃借地の使用を継続していたものであること前記認定の通りであるから、土地賃借期間中に前記の如き換地予定地の指定があつたことは、本件の場合控訴人公家、被控訴人正木間の土地賃貸借が前記の如く昭和二十六年十月末日を以て終了したものと認定することの妨げとなるものではない。然らば別紙第一目録記載の宅地の中その南部四十六坪の土地に対する控訴人公家の賃借権が既に消滅している以上、被控訴人白田誠男、同白田泉、同白田ふみの、同正木清隆に対し右賃借権が存在することの確認を求める請求は理由がないこと明らかである。従つてまた控訴人公家は、別紙第一目録記載の宅地に対する換地予定地の一部につき少くとも昭和二十六年十一月一日以降は使用権を有しないことも明らかであり、控訴人公家栄が前記被控訴人四名に対し、右使用権を有することを原因として、別紙第五目録記載の(ロ)の宅地約十六坪八合九勺(被控訴人白田誠男が被控訴人正木清隆より買受けた別紙第二目録記載Bの宅地に対する換地予定地の南部の一部分)及び別紙第六目録記載の(ロ)の宅地約十二坪七合二勺(被控訴人正木清隆所有に係る別紙第二目録記載Aの宅地に対する換地予定地)につき、賃借権と同じ内容の使用権を有することの確認を求める請求、被控訴人正木清隆に対し別紙第六目録記載(ロ)の宅地を明渡すことを、被控訴人白田誠男に対し別紙第五目録記載(ロ)の宅地を同地上の建物を収去して明渡すことを夫々求める請求並に被控訴人白田泉、同白田ふみのに対し右建物より退去することを求める請求はいずれも理由がなく、また右使用権存在確認請求が容れられないときの予備的請求即ち別紙第一目録記載の宅地の換地予定地につき四十六坪の百七十坪九合に対する割合で賃借権と同じ内容の使用権を共有することの確認を求める請求もその前提において失当であつて、理由がないと謂わなければならない。

(二)  被控訴人竹村豊之助の控訴公家栄、同上村菊美、同田村武松に対する請求(原審昭和二六年(ワ)第三八六号事件)について。

被控訴人竹村豊之助が別紙第三目録記載の宅地三筆を所有していること、高知市特別都市計画による土地区劃整理により右三筆の土地に対する換地予定地の一部として、被控訴人正木清隆所有に係る別紙第一目録記載の宅地百七十坪九合の中その南部の四十六坪(高知市播磨屋町ブロツク第七二号の一)が指定され、昭和二十三年十月二十五日被控訴人竹村、同正木及び関係者たる控訴人公家に対しその旨の通知がなされたこと、控訴人公家栄は右四十六坪の宅地上に別紙第四目録記載の家屋(以下本件家屋と称する)を所有して右土地を占有していることはいずれも当事者間に争がない。

而して控訴人公家栄は昭和二十一年十月被控訴人正木清隆より同被控訴人所有に係る別紙第一目録記載の宅地の中その南部の十一坪(右四十六坪の一部に当る)を使用期間五ケ年の約で賃借したものであるが、右土地賃貸借はいわゆる一時使用のための借地権であつて、昭和二十六年十月末日賃借期間の満了により終了したものと認められることはさきに判断した通りである。従つて控訴人公家栄は少くとも昭和二十六年十一月一日以降は何等の権原なくして右宅地四十六坪を占有使用しているものと謂わなければならない。尤も控訴人公家は、同控訴人は右宅地四十六坪が被控訴人竹村所有地の換地予定地に指定されることを知り、昭和二十三年二月上旬頃訴外中島竜吉を介し被控訴人竹村に対し右土地四十六坪の賃借方を申入れたところ、同被控訴人はこれを承諾したものであるから、右土地を使用する権原がある旨主張するけれども、原審並に当審証人中島竜吉の証言、原審及び当審における控訴本人公家栄の供述中右主張に副う部分は原審における被控訴人竹村豊之助本人の供述と対比して措信し難く、また成立に争のない甲第十五号証の二によつては未だ右主張事実を認めるに十分でなく、その他右主張事実を肯定するに足る証拠がない。従つて控訴人公家が被控訴人竹村より右土地を賃借したとの主張は採用できない。凡そ特別都市計画法第十三条により換地予定地の指定を受けた者は、その使用開始の日を追つて指定する旨定められた場合の外は、同法第十四条第一項により換地予定地指定の通知を受けた日の翌日から換地予定地の上に従前の土地に存する権利の内容たる使用収益と同じ使用収益をなすことができるものであり(特別都市計画法は昭和二十九年法律第一二〇号土地区劃整理法施行法により廃止されたが、同法第六条により特別都市計画法第十三条に基く換地予定地の指定は、土地区劃整理法第九十八条に基く仮換地の指定とみなされる)、この権利は一種の公法上の権利と解すべきであるが、従前の土地について有する被指定者の権利が所有権である場合には、被指定者は換地予定地につきいわゆる物上請求権と類似の権利をも取得するものと解するのが相当であるから、換地予定地を何等の権原なくして占有し、その使用収益を妨害するものがあるときは、従前の土地の所有者はその第三者に対し妨害の排除、換地予定地の明渡等を請求することができるものと謂わなければならない。従つて従前の土地の所有者である被控訴人竹村は換地予定地たる前記四十六坪の土地を何等の権原なくして占有している控訴人公家栄に対しその地上建物を収去して右土地の明渡を求めることができるものというべきである。

而して前叙の如く控訴人公家栄の前記四十六坪の土地に対する占有が昭和二十六年十一月一日以降においては何等の権原に基かないものである以上同控訴人は同日以降右土地を不法に占有することによつて被控訴人竹村が右土地について有する所有権と同一内容の使用収益権を侵害し、損害を与えていることとなるから、損害額の点につき更に審按する。成立に争のない甲第十七号証(高知県商工課長回答書)に徴すれば、前記宅地四十六坪に対する統制地代額は(イ)昭和二十六年十一月一日より同年十二月三十一日迄は一ケ月二百十七円の割合で計四百三十四円、(ロ)昭和二十七年一月一日より同年十一月三十日迄は一ケ月二百四十九円の割合で計二千七百三十九円、(ハ)同年十二月一日より同年十二月三十一日迄は三百四十円、(ニ)昭和二十八年一月一日より同年十二月三十一日迄は一ケ月四百八円の割合で計四千八百九十六円、(ホ)昭和二十九年一月一日より同年十二月三十一日迄は一ケ月五百四十八円の割合で六千五百七十六円、(ヘ)昭和三十年一月一日より同年十二月三十一日迄は一ケ月千二百二円の割合で一万四千四百二十四円、(ト)昭和三十一年一月一日以降は一ケ月千三百八十二円(以上は固定資産課税台帳に登録された価格を基準として算出したもの)であることを認めることができるところ、特別の事情のない限り控訴人公家の前記土地不法占有により被控訴人竹村の蒙つた損害額は右統制地代額と同額と見るを相当とするから、控訴人公家は被控訴人竹村に対し損害賠償として右(イ)乃至(ヘ)の合計額金二万九千四百九円及び昭和三十一年一月一日以降前記土地明渡済に至る迄一ケ月金千三百八十二円の割合による金員を支払うべき義務があるものと謂うべきである。被控訴人竹村は、換地予定地の指定通知があつた日の翌日である昭和二十三年十月二十六日から、控訴人公家の前記四十六坪の土地に対する占有が不法占有になるものとして、同控訴人に対し右昭和二十三年十月二十六日より損害金の請求をなしているにつき、右昭和二十三年十月二十六日より控訴人公家の前記土地に対する賃借権が終了した昭和二十六年十月末日迄の間における控訴人公家の前記土地占有が被控訴人竹村に対する関係においていわゆる不法占有を構成するか否かについて考察する。被控訴人正木所有に係る別紙第一目録記載の宅地の中南部四十六坪(以下便宜上甲地と称する)が被控訴人竹村所有地に対する換地予定地として指定され、また右甲地を含む別紙第一目録記載の宅地に対する換地予定地が高知市播屋町ブロツク第七二号の二、宅地百十七坪(以下乙地と称する)として指定され、昭和二十三年十月二十五日各土地所有者に対しその旨の通知がなされたこと、控訴人公家に対しては同日甲地を被控訴人竹村所有地に対する換地予定地として指定した旨の通知がなされたことは前記の通りであり、控訴人公家は甲地につき昭和二十六年十月末日迄は賃借権を有していたものであることさきに認定した通りである。而して原審証人川村俊雄の証言に徴すれば、控訴人公家は土地区劃整理施行者に対し特別都市計画法施行令第四十五条但書の規定による土地賃借権の屈出をしていなかつたことを認めることができ、控訴人公家の甲地に対する賃借権については換地予定地の指定がなされなかつたことを窮うことができる(尤も成立に争のない乙第一号証によれば、土地区劃整理施行者である高知市長が昭和二十五年十月二十七日控訴人公家に対し同控訴人所有に係る本件家屋を乙地の一部に移転することを命じた事実を認めることができるけれども、右は特別都市計画法第十五条第一項により被控訴人竹村所有地の換地予定地に指定された甲地の上に存する建築物の移転を命じたものであつて、控訴人公家の甲地に対する賃借権につき換地予定地が指定されたことの証左となすことができず、その他甲地に対する控訴人公家の賃借権につき換地予定地が指定されたことを認めるに足る証拠がない)。右の場合において、控訴人公家は特別都市計画法第十四条第四項により、甲地を被控訴人竹村所有地の換地予定地として指定した旨の通知を受けた日の翌日即ち昭和二十三年十月二十六日より甲地を使用収益することができなくなる筋合であるが、控訴人公家の甲地に対する賃借権につき換地予定地の指定がなかつたことは前記の通りであり、また土地所有者であつて賃貸人である被控訴人正木と控訴人公家との間において、右正木所有地に対する換地予定地である乙地の如何なる部分を控訴人公家に使用させるかにつき、何等かの協議がまとまつたことを認めるに足る資料がないから、甲地を含む被控訴人正木所有地に対する換地予定地が乙地として指定されたことにより、甲地に対し賃借権を有する控訴人公家は、抽象的には乙地の一部分につき賃借権の内容たる使用収益と同じ使用収益をなす権利を取得しているとしても、具体的には乙地の如何なる部分を使用できるかにつき、その範囲が定まつて居らず、控訴人公家は未だ賃借権と同じ内容の使用収益権の行使として乙地の一部を使用できる状態に立ち至つていなかつたものと謂わなければならない。殊に前顕乙第一号証、成立に争のない同第六号証、甲第九号証、原審における被控訴本人正木清隆、被控訴人白田誠男法定代理人白田泉、控訴本人公家栄各尋問の結果並に当審における検証の結果を綜合すれば、被控訴人正木所有地の換地予定地として指定された乙地には、被控訴人白田誠男所有に係る家屋が存在していて、控訴人公家所有に係る家屋を乙地上に移動するとせば被控訴人白田誠男所有家屋の一部分を切取らねばならぬ状況にあつたこと、そのため昭和二十五年十月二十七日土地区劃整理施行者より控訴人公家栄に対し家屋移転命令が出されたけれども、被控訴人白田誠男の法定代理人白田泉は誠男所有家屋の一部が切取られることを好まなかつたため、控訴人公家も直ちに右移転命令に応ずることができなかつたことを認めることができる。かかる状況下において控訴人公家は甲地が被控訴人竹村所有地の換地予定地に指定された後も依然甲地に対する賃借権に基いて甲地の占有使用を継続していたものであるが、賃借権の存在していた昭和二十六年十月末日迄の控訴人公家の甲地占有は、特別都市計画法上本来ならば被控訴人竹村に対する関係において、控訴人公家は甲地を使用することができないものであるとはいえ、前記認定の如き事情である以上、これを全然無権原の占有と同一視するは相当でなく、控訴人公家が故意または過失により被控訴人竹村の甲地に対する使用収益権を侵害したものということはできない(被控訴人竹村が昭和二十三年十月二十六日より昭和二十六年十月末日迄の間甲地を使用収益することができなかつた損失の補償は別途解決すべきであると考える。尚本件の場合の如く換地予定地上に建物が存するときは特別都市計画法第十四条第三項により土地区劃整理施行者は別に使用開始の日を定めることが適当であつたであろう)。従つて被控訴人竹村の控訴人公家に対する損害金請求中昭和二十三年十月二十六日以降昭和二十六年十月末日迄の間の分は理由がないと謂わなければならない。尚被控訴人竹村は、昭和二十六年十一月一日より昭和二十七年十一月末日迄の間の統制地代額につき、土地の賃貸価格を基準として算出した額を主張しているけれども、右の点につきこれを認容するに足る資料がないから、右主張はこれを採用しない。

次に控訴人上村菊美及び同田村武松が控訴人公家栄所有に係る別紙第四目録記載の家屋に居住していることは、控訴人上村及び同田村の認めているところであり、控訴人公家の前記甲地占有が昭和二十六年十一月一日以降においては何等の権原に基かないものである以上、甲地上に存在する右家屋に居住する控訴人上村及び同田村は、甲地につき使用収益権を有する被控訴人竹村に対する関係において右家屋より退去する義務があるものといわなければならない。

(三)  被控訴人白田誠男の控訴人公家栄に対する請求(原審昭和二六年(ワ)第三八六号事件)について。

被控訴人白田誠男は先ず、控訴人公家栄に対して同控訴人が別紙第二目録記載のB宅地及びC宅地の各換地予定地につき使用権を有しないことの確認を求めるものであるところ、控訴人公家が右各換地予定地につき特別都市計画法による使用収益権を有しないと認められることは前記(一)における判断により明らかであるから、右確認請求は理由がある(尚被控訴人白田誠男において右確認を求める利益があることは、さきの認定に照し明らかである)。

次に被控訴人白田誠男は、控訴人公家栄に対し別紙第四目録記載の家屋の収去を求めているにつき審按する。昭和二十六年六月上旬頃被控訴人白田、同正木及び控訴人公家の三者間の話合において、控訴人公家が右家屋を正木の用意する他の宅地に移転することを約したことはさきに認定した通りであるけれども、前叙判断に照し被控訴人白田誠男は右家屋の敷地につき使用収益権を有しないこと明らかであるから(被控訴人白田誠男が被控訴人正木清隆より右家屋の敷地部分の一部を買受けたことになるとしても、右買受部分については換地予定地が指定されていて、従前の土地については使用収益権を有しない)、控訴人公家に対し右家屋の収去を請求する部分は、訴の利益を欠くものと謂わなければならない。従つて右請求部分は理由がない。

然らば結局被控訴人竹村豊之助の控訴人公家栄に対する請求(当審において請求を拡張した部分を含めて)は右認定の限度において正当であるが、その余の部分は失当であり、被控訴人竹村豊之助の控訴人上村菊美、同田村武松に対する請求は正当であり、被控訴人白田誠男の控訴人公家栄に対する請求中土地使用権不存在確認を求める部分は正当であるが、建物収去を求める部分は失当であり、また控訴人公家栄の被控訴人白田誠男、同白田泉、同白田ふみの、同正木清隆に対する請求は失当であることとなる。仍て原判決中右と一部異る部分を変更し、右と結論を同じくする部分についての控訴を棄却することとし、民事訴訟法第三百八十六条第三百八十四条第九十六条第八十九条第九十二条第九十三条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石丸友二郎 浮田茂男 橘盛行)

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